2016年05月21日

ゾンビ蚊

今にして思えば
あのキャンプ場に行ったのが
災厄の始まりだった

そのキャンプ場は
きれいな谷川のほとりにあった

谷川の上流には古びた洋館があって
その館に百年も前から
住んでいる黒髪の年寄りが居て

その年寄りが大きな椅子に深く腰掛けて
ゆっくり齧ってるものが、先週行方不明になっていた
中年のハイカーの腕だということも

その年寄りの首筋に一匹の蚊がとまって
老人の血を吸ったことも含めて

ずっと下流でキャンプしていた僕らは
もちろん、全然、全く、一向に知る由もなかった

キャンプを引き払って
僕ら一家がワンボックスカーで出発するとき
締める直前のドアから件の蚊が入ったことなど

もちろん、知るはずもなかったし
知ったところで、気にも留めなかったろう

それから数日が過ぎ
会社で大きな案件の成約を果たした僕は
部長の肝いりの祝勝会で、しこたま飲んで

やっと帰り着いた我が家のベッドで
妻に手伝ってもらって着替えてぐっすり寝入っていた

夜中に喉が渇いて
冷蔵庫の水を飲んで
再び心地よい眠りの世界に戻ろうとした時

耳元で
あのおぞましい〈ぷ〜ん〉という音が聞こえた

それから、眠りに落ちようとすると
待っていたように〈ぷ〜ん〉と音がする

何度か、顔や耳の辺りに来た気配を狙って
平手でぱん、と叩くのだが

いっこうに音は止まず
結局、酔っていたこともあり
ふとんをかぶってなんとか寝入ってしまった

それから、毎晩
〈ぷ〜ん〉という音がつきまとい

何度かは電気を点けて
真剣に蚊を退治しようとしたが
どうもうまくいかない

一度は確実にやった、と手応えもあったのだが
暗くしてしばらくすると〈ぷ〜ん〉とくる

妻に訊くと
あたしもやられたわ、と云う
子供もどうやら悩まされているみたいだった

それに
刺された後が、どうにも痒い
ものすごく、と言ってよいほど痒い

いよいよ真剣になった僕は
会社の帰りにドラッグストアに寄って
電気蚊取り器の新型と、ラケットみたいな蚊取り器を買った

その夜、何度目かの攻防があって
ラケット型の微量電流で蚊を倒す道具に
パチッと当てて、確かに撃墜したはずなのに

床に落ちた蚊が
再び飛び立ったのを見て
妻と顔を見合わせた

「え〜っ、確かにやっつけたよなぁ」
「わたしも見たわ。まみちゃんも見たよねぇ」
一家で確かに、彼の蚊の最後を見たはずなのに…

奴は確かに飛んでいる
空気が悪くなるのも承知で放った殺虫スプレーを浴びても
蚊に刺されたほどにもない、って感じで飛んでいる
*
*
我が家に安眠がほぼ無くなったある日
寝不足でつい会議中に欠伸をしてしまったところ

僕につられて、部長も課長も
同僚のT君もM代さんも
皆、欠伸

言い訳がましく、実は毎夜
と、話した僕に皆相槌で
どうやら、最近、どこの家も蚊に悩まされているらしい

なかには、T君のように
見事両手でしっかり叩いた蚊が
なんてことないや、ってな風に飛び去ったのを見たケースもある

やがて、朝の情報番組でも
夜のでも、日曜日のでも
『やっつけても死なない蚊』が話題になってきた

どうやら、変な病気は媒介していないようだが
それも時間の問題だという

どうやっても死なない蚊は
そのうちWHOにも着目され
日本が、その発生国と断定され

各国から恐れられることとなっていった
経産省の来年度の日本への観光来訪客は前年度より
大幅に減る見込みで、各観光地では頭を悩ませているようだ

しかし、刺されてものすごく痒いのも嫌だが
なによりあの〈ぷ〜ん〉という音がとっても気に障る

*

やっつけても死なない蚊のご先祖が
どこかのキャンプ場を流れる谷川の上流にある
古びた洋館からやってきて

そいつが刺した人間の血を、次に吸った蚊が不死になる血を
次から次に拡散しているってことを

もちろん、全然、全く、一向に知らなかった僕らだった
posted by Bee at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説
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